発達障害、ADHD、学習障害などの言葉が広まっていなかった時代の話。
落ち着きがない、集中が続かない、鏡文字、本がうまく読めないなどの困難がたくさん。
特に人と話すのがとてつもなく苦手。
幼いころは、かなり身近な人か家族くらいとしか話さず。
内向的とか人見知りだけかと思ってました。
内向的というには度がすぎる!?
どれほどのものだったかというエピソードを3つほど・・・。
Episode1
父が勤めている会社の社宅に住んでいた、まだ2歳か3歳のころ。
母が兄を幼稚園のバス停まで送っていき帰ってくるまでのこと。
自宅後ろにある同僚のおばさん宅に毎日一時預かりされていました。
「ヤクルト飲む?」
と話しかけてくれるおばさん。
それに対して私は、そのヤクルトを手に持ちながら黙って下を向き続ける。
これが毎日続く。
おばさんにとってはきっと、地獄だったに違いない。
Episode2
小学校のとき、普段は同級生と普通に話します。
でも、遠足などでのお昼はひとりで食べたかった。
先生が撮ってくれた写真は集合写真以外はひとり。
そんな写真を見て母は、
「この子、友達いないのかしら・・・」
と思い悩んだらしい。
Episode3
小学校4年の3月、茨城県から千葉県に引越し直前のころ。
近所のおばさんが自動販売機で「HI-Cグレープエード」を買ってくれた。
横にある集会所の広場で2人乗りのブランコに一緒に乗った。
「いつ引っ越しちゃうの?」
と聞かれたが、なぜかずっと黙ってジュースを飲み続けていた。
逆の立場だったら、「なんで一言も話さないんだろう・・・」って思いますよね。
これって「かんもくしょう」??
「緘黙症(かんもくしょう)」という言葉を知っていますか?
自分ではずっと、人見知りや内気な性格なだけだと思っていました。
ある日、書店で「かんもく」という言葉を見かけました。
知らない言葉だったので中身を見てみたら、なんと!私と同じような感じ。
似たような人がいるんだなと、さらに調べてみました。
家族とは話しますが、外に出ると話すことができなくなってしまう。
このような症状を「場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)」というらしい。
「うん・・・やっぱり当てはまるところがたくさん・・・」
でも、当時は症状だとは思っていなかったし、診断もなかっただろう。
相談するところもなかったので、大変な場面はたくさんありました。
今は、相談や支援してくれる場所はある。
ある意味、良い時代になってきたんだなと。
唯一、昔が時代的に良かったことは、相談場所もなかったこと。
「診断名」がつかないので、「かんもく」にはなっていないことになっている(笑)
けっこう沢山いるらしい
「自分だけではない」
「けっこう沢山いる」
ということも分かってくると気が楽になる部分もあります。
選択理論心理学でいう、「愛・所属の欲求」が満たされたのかな。
私は今でも頑張らないと話すのが大変!
周りからはあまりそう見られなくなりました。
頑張って話せるレベルまで持ってこれているので、まだ良い方かもしれません。
書籍も出版されているので、知識として持つだけでも良い方向に対処ができると思います。
色々調べてみると、保健センターや児童相談所などで相談はできます。
生活に支障が出ている場合は専門家に確認したほうが良いかもしれません。
本質から変わるかどうかは難しさもあると思います。
でも、訓練によってはより良い方向に向けると体験上は思っています。
リアリティセラピー(現実療法)や認知行動療法も合わせて使っていくと効果的かもしれませんね。
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