来談者中心療法には否定的だった。
ただ話をフンフン聞くだけ(「聴く」ではない気がしていた)。ただ、バカみたいにこちらの言葉をオウム返しするだけ。
「そんなカウンセリングで悩みが解決できたら苦労はないよ」「全然役に立たないじゃん」
来談者中心療法のカウンセリングをクライエントとして受けたとき、本気でそう思っていた。このような声は私だけではなく、実際に友人からも同じ声を聞いたことがあった。
以前、認知行動療法を学ぶために受講した講座。その講座のプログラムに来談者中心療法が入っていた。
「ああ、フンフン聞くだけのヤツか。こんなの習うために受講したわけじゃないのに……早く認知行動療法を教えてよ」
そう思いながら受講を続けていたが(受講費用に入っているので、もったいないから)、来談者中心療法の実習が始まってから、少しずつではあるが見方が変わって来た。
ナメた態度の受講生
態度には出さないようにしていたが、内面では「早くこのカリキュラム部分は終わって欲しい」という気持ちでいっぱい。でも、態度としては体から漏れていて、ナメた態度は周囲に分かっていたのではないかと思う。来談者中心両方ではなく、認知行動療法を学びに来ているんだから。
基本的態度として「受容」、「共感」、「自己一致」の説明。まあまあ、大体は理解できる。そういう態度で行えばいいのね。もう、それで良し。技法として「あいづち」「オウム返し」「要約」を教えてもらい、実習。3分、5分、10分、15分、20分と、次第にカウンセリングの時間が長くなっていく。クライエント役の話に興味を持てなくて、ナメた態度だけでなく、疲れや眠気が重なり全く話が入って来ず。
「約3分で要約を」と言われていたところ、今まで話されていた内容が頭からすっ飛んでいた。
「あれ……、こんなはずじゃなかったのに……」
自分自身の大失敗によって目が覚めることになる。
何とか、「失敗をしたくない!」という思いだけで、ちょっとは気を入れて実習することにした。現在の自分から当時の自分を見たときに、「失敗をしたくない!」という思いだけでも、超大大大失敗どころか、スタートラインにも立つことができていないなと断言できるのだが、少しずつ焦り始めてきた。せっかく時間とお金をかけて講座に来ているので、今だけでもしっかり行ってみようと心を入れ替えた。
もしかしたら来談者中心療法って良いのでは? 的な気持ちが芽生える
来談者中心療法と認知行動療法が合わさった講座だったのだが、その講座が終わってから驚く体験があった。ずっと習っていたリアリティ・セラピー(現実療法)でのロールプレイングをする中で、クライエントの言葉の使い方や内容、話し方など、今までとは聴き方が変わっていることに気づいた。
どのように変わっていたかというと、「それは事実なのか、それともクライエントの思い込みなのか?」「内容の矛盾についての気づき」「クライエント役のとき、カウンセラーとクライエント間の認知の誤り」などなど、文字にしてみると今までも当たり前にできていないといけないことなのだが、その場のカウンセリングの感覚としては更に細かい部分で気づくようになってきた。
講座の中で、来談者中心療法の本質には、足元にも及ばないようなナメた態度で実習をしていたにも関わらず、今までとは違う自分に気づき始めた。
「もしかしたら、来談者中心療法ってかなり有効なのでは?」という気持ちが芽生えて来たことに驚きを隠せず、胸の当たりがモヤモヤで全開になってきた。
学びは山登りのような感じ
山登りに例えてみると、麓にいるときは目の前の風景と目の前にそびえ立つ山を見上げている。登っていくと次第に、麓では見えていなかった、その時の高さの風景が目の前に広がっていく。三合目では三合目からの眺め、七合目では七合目からの眺め。また、頂上から眺めれば、今まで自分が登って来たルートはもちろん、スタート地点も眺めることができる。
その都度、見えていなかったものが次第に見えてくる感じだ。
麓からしか見えていなかった来談者中心療法も、ちょっとした実習をすることにより、それに比例した高さから見ることができてくる。「あれ? なんか眺めが違う? もしかして、ちょっと登ると風も爽やかで気持ちいいかも?」という気持ちが芽生えてくることができる。
来談者中心療法をしっかり学ぶには?
そんなこんなで、本格的に来談者中心療法を学び直すにはどうしたら良いのか? 方法は色々あるが、自分の中で知っている限りの中で選択したのが「産業カウンセラー養成講座」だ。
大学で「産業カウンセリング」の講義を担当してくれた先生が、「産業カウンセラーは良い資格だと思いますよ」というのがずっと引っかかっていた。当時は、全く興味がなかったので、受験資格を取る単位なども気にもしなかった。今では、大学で受験資格を取得していなくて良かったと思っている。取得していたら、カウンセリングの実習をたくさん行う機会を失っていた。できるようになり、理解するためには、カウンセリングをしながら体感して行くことが大切だからだ。
現在、初期段階を終了したところだが、もうこの時点で、昔々は楽勝だと思っていたものが、かなり深い療法だったということに打ちひしがれている。自分が行いたいことで苦しむというのはかなり嬉しい。
「フンフン聞くだけが来談者中心療法だ」なんてとんでもない!
知れば知るほど奥が深い!
講座だけではなく、様々な探求をしながら深く深く研究していきたい。
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